沿革

沿革

1,1972年(昭和47年)、西ドイツ・ミュンヘンにおける第20回国際オリンピックの芸術祭部門として「世界文化と現代芸術展」が開催され、オリンピック組織委員会芸術祭日本代表に就任した上智大学社会経済研究所教授篠田雄次郎が、芸術祭事務総長カールスルーヘ大学教授ジ―クフリート・ヴィヒマンの要請により、日本の伝統芸術品数種と共に日展理事・赤羽雲庭の書作品を出展し、同氏を展覧会に招聘した。展覧会場における揮毫で、真剣勝負にも似た同氏の制作態度と、刹那の意気を活き活きと表現する書が西洋諸国の識者芸術家に多大の感銘を与え、これを機に書を中心とした国際文化交流の願望が高まり國際書道連盟が発足した。

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その後、連盟の運営機関として強力な実践組織が必要とする意見が強まり、翌1973(昭和48年)、国際書道連盟の下に國際書道連盟日本部会を設立した。事務所を東京に置き、総裁・篠田雄次郎、名誉総裁・藤井丙午(参議院議員)、顧問・糸川英夫(組織工学研究所所長)、源田実(参議院議員)、飯坂良明(学習院大学教授)等、政・財界人、学識経験者を迎え、高木白雲(金禧勲)を事務局長として活動を開始した。

 

3,以後、日本部会は國際書道連盟の中核的立場で、書道を通じた国際交流を図るとともに、国内でも、第1回國際書道連盟展から第6回展までは名跡展等啓蒙的事業を展開し、1979年(昭和54年)第7回展からは、書を通じての生涯教育及び書道文化の振興・広域化を目的とする公募展に切り換えた。その実績は、外務省、文化庁、東京都からの後援という公的評価を得るに至っているが、一層の充実を期す為、2002年(平成14年)第30回展からその運営に実行委員会方式を導入した。この間、役員展、海外展、地方展など幅広い活動を展開し、書道芸術の推進に寄与して現在に至っている。